べっぴんさんの坂東五十八についてのネタバレ記事です。五十八は「べっぴんさん」のヒロイン・すみれの父親で生瀬勝久さんが演じていますが、モデルの人物について調べてみたところ、実はドラマの設定より激しいことが分かりました。まさに「事実は小説よりも奇なり」という言葉がピッタリなんです。

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べっぴんさんの五十八ってどんな人?人物紹介から確認!

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まずは、べっぴんさんの公式ページから五十八の人物像について確認してみましょう。

具体的には五十八については以下のように紹介されています。

坂東 五十八(ばんどういそや) (生瀬勝久)
すみれとゆりの父。布の売買をなりわいとする近江商人の家の次男として生まれる。

天性の商才があったため、父から事業の一部を受け継ぎ、
商売を始めてすぐに、大きな利益をあげるようになったが、
傾いた本家を助けるために得意先を泣く泣く長男に譲る。

幼なじみのはなとの結婚を機に、夫婦二人三脚で近江の布を大阪に卸すようになり、
繊維会社「坂東営業部」を設立。成功をおさめ、一代で財を築いた。

合理主義者で新しいもの好き。娘たちには少々過保護気味。
五十八の『よき相棒を作れ』『初志貫徹』という商売の哲学は、すみれたちに受け継がれてゆく。

確かに「べっぴんさん」でも五十八は神戸に大きな洋館を建てるほどですので、かなりの大成功を収めたことは言うまでもありませんよね。また、第5週「お父さまの背中」では五十八は元締め・根本(団時朗)と互角に渡り合うという頼れる一面を見せています。

五十八はモデルの人物と同様、実業家としては大変すぐれていました。しかし、ここではあえて違う部分に注目したいと思います。それは「少々過保護気味」という部分です。一見すれば五十八はすみれと姉・ゆりに対して大変厳しいようにも見えますよね。

しかし、それは五十八が二人の娘を心配するあまりの言動や行動だったわけです。まあ、すみれやゆりにとってはそんな五十八がどんなほうに見えたのかはなんとも言えませんが・・・。

>>>すみれやゆりへの五十八の接し方についてもう一度確認したいあなたはこちら<<<

このように五十八の娘の過保護程度はちょっと抑えたものではあったのですが、実は史実での五十八のモデルの過保護さはこんなものではなかったということがわかりました。

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べっぴんさんの五十八のモデルの人物の過保護伝説をネタバレ!ここまでやる!?

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五十八のモデルとなった人物はレナウンの創業者である佐々木八十八(ささきやそはち)氏です(以下敬称略)。八十八もまた、五十八と同様に商才に優れ、自らレナウンの原型である「佐々木八十八営業部」を設立します。

この会社は元々は毛製肌着、香水、かみそり、毛布、羽根ブトン、タオル、帽子、ネクタイなどを売る商社専門だったのですが、そのうち自前でも繊維製品の製造をはじめます。そして1923年(大正12年)に来日したイギリス皇太子エドワードが乗ってきた御召艦「レナウン」にあやかって自らの繊維製品の商標にレナウンという名前を付けたというわけです。

※実際に会社名に「レナウン」という名前を付けたのはそれからしばらくたった1955年(昭和30年)のことです。

まあ、ここまで聞けば八十八はかなり遣り手の実業家ということで話は終わってしまいますが、それよりも最初に紹介した八十八の過保護エピソードが伝説級に凄いんですよね。せっかくなのでそんな八十八の「過保護伝説」について紹介したいと思います。

過保護伝説①子供に風邪を引かせないために小学校を変更!?

べっぴんさんのヒロイン・すみれのモデルは坂野惇子さん(以下敬称略)でしたよね。実は惇子が生まれたときには八十八は既に大成功を収めていました。つまり、惇子は戦争前までは大富豪の家で生まれ育ったことになります。

実は惇子が住む地域では、大富豪の家は私立の甲南小学校に通うことが常識とされていました。もちろん当初は惇子もこの甲南小学校に入学する予定だったんです。しかし、あることが発覚し、惇子の入学先は急遽、公立の魚崎小学校に変更となってしまったのです。

その理由が驚くべきものでした。それは甲南小学校の通学路には六甲おろしが吹き付け、惇子に風邪を引かせてしまうから、という内容だったのです。そしてもちろん自宅から出来るだけ近い場所として決まった先が魚崎小学校だったというわけです。

もちろん、魚崎小学校でも通学時に風が強い日や雨が降る日も当然ありますよね。そんなときは惇子に学校を休ませる、という徹底だったわけです。さらには遠足の際は必ず使用人を同伴させました。

確かに大富豪の子供もいる甲南小学校ではこのやり方は普通だったのでしょうが、流石に一般の子供が多い魚崎小学校では当然惇子は周りから浮いた存在になってしまったのです。

過保護伝説②潔癖症の人もビックリな食に関するエピソード!?

男にとって女性の手料理というのは一種の憧れではあるものの、一方で逆に人の手料理が苦手という人っていますよね。有名な人でも「人の握ったオニギリは食べられない」という話も耳にします。

しかし、八十八のエピソードはそんなものではありません。もちろん、自宅で調理した食事以外のものを食用することは禁止ということは当然なのですが、例えばキャラメルなどのお菓子を何とアルコール消毒する、という徹底ぶりです。

もちろん、潔癖な人の中には常に医療用エタノールを携帯して、身の回りのものをアルコール消毒するという話は聞きます。しかし、さすがに口に入れるものまでアルコール消毒をする人って周りにはあまりいませんよね。

これらの八十八の過保護ぶりに子供たちは只々困惑するばかりだったのです。

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べっぴんさんの五十八のモデルの過保護の理由とは?ただし、妻は無関係だった!?

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子供の健康という面で過保護すぎた八十八ですが、実はこれにはちゃんとした理由があります。実は八十八の身内は病気で早逝する人が多かったのです。それは父親や異母兄だけではなく、八十八の子供も例外ではなかったのです。

実は惇子の兄弟、つまり八十八の子供は全部で6人いました。しかし、このうちの2人が早くに亡くなってしまったのです。このため、八十八は周りよりもさらに子供の健康に気を遣いすぎるようになったというわけです。

と、ここで「べっぴんさん」を1話から見ているあなたなら、奥さんも早くに亡くしてしまったこともあるし、八十八が子育てに一生懸命だからこその行動なのかな、と思ってしまいますよね。

ところが史実ではこの部分がドラマとは異なります。確かにすみれの母で五十八の妻のはな(菅野美穂)はすみれが小さい頃に亡くなってしまいましたよね。ところが、はなのモデルとなった佐々木倆子さん(以下敬称略)は実はそんなに早く命を落とすというわけではありません。

それどころか何と倆子は八十八よりもさらに長生きだったんです。まあ、倆子は八十八とは性格が真逆でかなりおおらかな人物だったようです。つまり、八十八の過保護は元々の性格から来ているものだったというわけです。

八十八の過保護のエピソードだけでもそのまま「べっぴんさん」のスピンオフ作品として普通に出せるほど内容が凄いんですよね。確かに「事実は小説よりも奇なり」という言葉がピッタリだったわけです。

以上、べっぴんさんの坂東五十八についてのネタバレでした。