4/5放送の3話ではついに常子のとと・竹蔵が倒れてしまいました。
残念ながら竹蔵は1週最後の放送となる6話で帰らぬ人となってしまいます。

突然、小橋家に不幸がやってきてしまったわけですが、
1週放送の後半の4話から6話ではそんな不幸の中での
ささやかな幸せのエピソードが描かれています。

4話のエピソードは百人一首です。

一体どんなお話だったのでしょうか?

またこのエピソード、史実ではどうなっていたのでしょうか?

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百人一首に強すぎるかかからゲットした札とは?

きっかけは竹蔵(西島秀俊)が結核に倒れてからは
初の年明けとなる昭和6年の正月のことでした。

竹蔵は何とか体に負担をかけず、かつ
家族全員で遊ぶ方法はないものかと考えていました。

そこで思いついたのが百人一首だったのです。

実は百人一首の札は君子(木村多江)が嫁入りする際に
嫁入り道具と一緒に持って来ていました。

そこで早速小橋家で百人一首大会が開かれることとなりました。

しかし、一点だけ問題があったのです。

君子があまりにも強すぎてまるで勝負にならない状態だったのです。

どんどん場の札がなくなっていく中、
常子は負けじと勇猛果敢に君子に挑みます。

そして、ついに常子は1枚だけ札を取ることができたのです。

その札には

世の中は常にもがもな渚漕ぐ
海人の小舟の綱手かなしも

と書かれていました。

常子の取った札の意味は?名前の由来との関連は?

常子の取った札の歌はは鎌倉右大臣 源実朝が詠んだものです。

その意味は

世の中は常に変わらずにあってほしいなあ。
漁師の小舟が綱に引かれていく、その景色の愛しさよ。

という内容です。

3話で竹蔵は無理をしてでも家族のために尽くす理由として
幸せな日常はいつまでも続くわけではない儚いものだ、
だから一緒にいる時間をより大事にしたいと語っていましたね。

この百人一首の歌はしかしそれでも幸せな日常がいつまでも続いて欲しい
という竹蔵の願いを反映しているようにも見えますよね。

常子の「常」には家族で一緒にいられる時間が「常」でありたい
という竹蔵の思いがこもっていたというわけですね。

史実ではどうだった?鎮子に関する百人一首の札は存在する!?

常子のモデルとなったのは「暮しの手帖」創設者の大橋鎮子さんでしたね。

常子の由来が百人一首ということは
鎮子もまた百人一首の歌から名付けられたということなんでしょうかね。

しかし、調べてみたところ残念ながら「鎮子」に関係する百人一首の
歌を見つけることはできませんでした。

となると今回の
百人一首と常子
のエピソードは「とと姉ちゃん」オリジナルの話だったということなんでしょうかね。